この記事では、ddPCRでポアソン分布が使われる理由を初心者向けに解説しました。
数式の厳密な導出は省略していますが、「なぜ陰性率からコピー数が求められるのか」という考え方を理解することを目的としています。
そもそもポアソン分布とは?
ddPCRのコピー数の計算では、ポアソン分布と呼ばれる統計学の考え方が使われています。
一言でいうと、
「ランダムに起こる出来事の回数を表す確率分布」
です。
例えば、
- 1時間に電話が何回鳴るか
- 1日に救急車が何台来るか
- 1 mL中に細菌が何個いるか
これらはすべて、「ランダムに起こる出来事」ですよね。
このような現象を数学的に表すのが、ポアソン分布です。
ddPCRでも同じです。
反応液は約2万個のドロップレットに分割され、その中へDNA分子がランダムに分配されます。
DNA量が少ないほど、陽性ドロップレットは少なくなり、陰性ドロップレットが圧倒的に多くなります。
また、DNA量が少ないほど、1つのドロップレットに複数のDNAが入る確率も低くなります。
この「ランダムにDNAが分配される現象」が、まさにポアソン分布で表せる現象なのです。
※この計算は、DNAが反応液中で均一に混ざり、各ドロップレットへランダムに分配されることを前提としています。ddPCRでは、この条件がほぼ満たされるため、ポアソン分布を利用できます。
ポアソン分布は「平均(λ)」だけで決まる
ポアソン分布では、
1つのドロップレットに平均して何コピーのDNAが入っているか
だけで、分布の形が決まります。
この「1ドロップレットあたりの平均DNAコピー数」を
平均コピー数(λ:ラムダ)と呼びます。
例えば、100個のドロップレットにDNAが10コピーある場合、
1ドロップレットあたり平均すると0.1コピーになります。
つまり、平均コピー数(λ)=0.1ということです。
同じように、100個のドロップレットにDNAが100コピーあれば、
平均コピー数はλ=1になります。
もちろん、実際にすべてのドロップレットへ均等に入るわけではありません。
0コピーのものもあれば、2コピー入るもの、3コピー入るものもあります。
「平均すると1ドロップレットあたり何コピー入っているか」を表した値が、平均コピー数(λ)です。

例えば、1ドロップレットあたりの平均コピー数(λ)が0.1なら、ほとんどが0コピーとなり、1コピーが少し、2コピー以上はほとんどありません。
一方、平均が1コピーなら、1コピー入るドロップレットが最も多くなります。
平均が3コピーになると、2コピー以上のDNAが入るドロップレットが増えてきます。
つまり、平均コピー数(λ)が大きくなるほど、1つのドロップレットへ複数のDNAが入る確率が高くなるのです。
※平均(λ)が十分大きくなると、ポアソン分布は正規分布(釣鐘型)に近づくことが知られています。
ddPCRでは、平均コピー数(λ)が小さい条件で測定することで、0コピー(陰性)のドロップレットを十分に確保しています。そして、その陰性率から元のDNAコピー数を推定しています。
100個のドロップレットだけの世界を考えてみよう
ここでは、いったんポアソン分布のことは忘れましょう。
難しい数式は一旦忘れて、実験だけを考えてみます。
本物のddPCRでは約2万個のドロップレットができますが、多すぎてイメージしづらいので、ここでは100個だけある世界を考えます。

① DNAが10コピーしかない場合
100個のドロップレットへランダムにDNAを10コピーばらまきます。
結果は、
- 陽性:約10個
- 陰性:約90個
くらいになります。
ここまでは直感的ですよね。
② DNAが80コピーだったら?
今度はDNAが80コピーあります。
100個のドロップレットへ80コピーのDNAをランダムにばらまくと、陽性ドロップレットはかなり増えます。
例えば、
- 陽性55個
- 陰性45個
になったとします。
※ここでの「55個」は説明のための例です。理論的にも平均0.8コピーでは約55%が陽性になります。
ここで疑問が生まれます。
DNAは80コピーあったのに、陽性は55個しかない。
残りの25コピーはどこへ行ったのでしょう?
答えは、
同じドロップレットへ複数のDNAが入っているからです。
例えば、1つのドロップレットにDNAが3コピー入っていても、PCR後は「陽性」ということしかわかりません。
DNAが1コピーでも3コピーでも、「陽性」は1つです。

ddPCRでは、何コピー入っていても「陽性」か「陰性」しか判定できません。
③ DNAが200コピーだったら?
さらにDNAを200コピーまで増やしてみます。
すると、ほとんどすべてのドロップレットが陽性になります。
しかし、ここで問題が起こります。
全部陽性だと、
- DNA100コピーなのか
- DNA200コピーなのか
- DNA300コピーなのか
区別ができません。
つまり、陽性ドロップレットだけではコピー数は分からなくなるのです。
これを「陽性が飽和する」と表現します。
つまり、「陽性を数えるだけ」では、元のDNAコピー数は正確に推定できません。
陰性ドロップレットがコピー数推定の鍵
陰性ドロップレットには、DNAが1本も入っていません。
つまり、DNA0コピーであることが確実です。
だから、
- 陰性90個ならDNAは少ない
- 陰性20個ならDNAは多い
- 陰性0個ならかなり多い
ことが分かります。
つまり、コピー数を推定する鍵は、陽性ではなく陰性率にあるのです。
陰性率から平均コピー数(λ)を求める
ここで登場するのがポアソン分布です。
ここまでで分かったように、平均コピー数(λ)が増えるほど、陰性ドロップレット(DNAが1本も入っていないドロップレット)は減っていきます。
つまり、陰性率が分かれば、逆に平均コピー数(λ)も推定できるということです。
例えば、ポアソン分布では次のような関係になります。

この表を見ると、
平均コピー数が増えるほど、DNAが1本も入っていないドロップレット(陰性)が急速に減っていくことが分かります。

例えば、
- 陰性率が約90%なら、平均コピー数は約0.1
- 陰性率が約37%なら、平均コピー数は約1
- 陰性率が約5%なら、平均コピー数は約3
というように、陰性率と平均コピー数には決まった対応関係があります。
この関係は、ポアソン分布では次の式で表されます。

実際のddPCRでは、この対応表を見ながら計算しているわけではありません。
装置がこの数式を使って、陰性率から平均コピー数(λ)を自動的に計算しています。
なぜ「-ln(陰性率)」で計算できるの?
ここまでで、陰性率が分かれば、平均コピー数(λ)も分かることが分かりました。
では、ddPCRは実際にどのように平均コピー数を計算しているのでしょうか?
答えは、とてもシンプルです。
次の式を使います。
平均コピー数(λ) = -ln(陰性率)
ここで大切なのは、
「陰性率を平均コピー数へ変換する計算式」
だと理解することです。
例えば陰性率が40%だった場合
実験の結果、陰性ドロップレットが40%だったとします。
この40%を式へ入れると、平均コピー数(λ)は約0.92と計算されます。

つまり、
1つのドロップレットあたり、平均0.92コピーのDNAが入っていた
ということになります。
陰性率と平均コピー数には一定の対応関係があります。
そのため、陰性率が40%と分かれば、平均コピー数(λ)は約0.92であることが分かります。

全体では何コピーになる?
例えば、約2万個のドロップレットができた場合、
平均コピー数が0.92なら、
0.92 × 20,000 = 約18,400コピー
となります。
つまり、
反応液全体では約18,400コピーのDNAが分配されていた
と推定できます。
その後、ドロップレットの体積などを補正し、最終的に copies/µL として表示されます。

なぜ「-ln」になるの?
実は、この式は突然現れたものではありません。
前の章で紹介した
P(0)=e⁻ˡ
というポアソン分布の式を、λについて解き直しただけです。
つまり、「DNAが1本も入らない確率(陰性率)」が分かれば、
そこから平均コピー数(λ)を逆算できるようになっています。
その結果が、
λ = -ln(陰性率)
という式なのです。
この章で一番大切なのは、「-ln」を暗記することではありません。
覚えてほしいのは、
ddPCRは、陰性ドロップレットの割合から、ポアソン分布を利用して平均コピー数を逆算している
という考え方です。
数式は、その考え方を正確に計算するための道具に過ぎません。
ddPCRでは実際に何を計算しているの?
実際の流れは次のようになります。

つまりddPCRは、
陽性・陰性の割合から、PCRを始める前にDNAが平均何コピー入っていたかを逆算しているのです。
ミニコラム なぜポアソン分布が生まれたのか?
19世紀の数学者シメオン・ドニ・ポアソンが研究していたのは、
- まれに起こる出来事
- ランダムに起こる現象
でした。
例えば、
- 事故が何件起こるか
- 印刷ミスが何ページに1回起こるか
などです。
また、「軍隊で馬に蹴られて亡くなる兵士の人数」
という有名な例がありますが、これは後に統計学者がポアソン分布の例として解析したデータです。
こうした現象では、
- 0回起こることが圧倒的に多い
- 1回起こることは少しある
- 2回以上はさらに少ない
という共通したパターンが現れます。
ポアソン分布は、このような「ランダムに起こる現象」の法則を数学で表したものなのです。
なぜ200年前の数学がddPCRで使えるの?
ここが一番面白いところです。
ポアソンは当然、PCRもDNAも知りません。
しかし、ddPCRで起きている現象も、
- DNA0コピー
- DNA1コピー
- DNA2コピー
- DNA3コピー
がランダムにドロップレットへ分配される現象です。
つまり、200年前に発見された数学の法則と、現代の分子生物学で起きている現象が、
まったく同じ性質を持っていたのです。
だからこそ、ポアソン分布は今でもddPCRの計算にそのまま利用されています。
1800年代の数学者は、未来にPCRが発明されることなど想像もしていませんでした。
それでも、「ランダムに起こる現象には共通する法則がある」という純粋な数学を築き上げました。
そして約200年後、その法則はddPCRのような最先端の遺伝子解析技術を支えています。
数学は単に計算するための学問ではなく、自然界に共通するルールを見つける学問なのかもしれません。
ddPCRもまた、そのルールの上に成り立っている技術なのです。
まとめ
- ポアソン分布は「ランダムに起こる出来事」を表す確率分布
- ddPCRではDNAがランダムにドロップレットへ分配されるため、ポアソン分布が利用できる
- コピー数推定の鍵は「陽性」ではなく「陰性率」
- 陰性率から平均コピー数(λ)を求め、最終的に copies/µL を計算している
